両親を見送って自分のことを考えてみる
今日は片付けをしながら、ふと両親を思い出してしまいました。
母は80歳、父は90歳で人生に終止符を打ちました。
私自身がその年齢(現73歳)に近づいてきて、ちょっとしたことから亡くなった老親の「あっ、あの時の気持ち、今わかった」なんていうことがあるのです。
私は、当時の勤務先を退職し、実家の近くにアパートを借りてそこから実家通い。在宅ケアのスタートです。
なぜ実家に帰らないの? とよく聞かれましたが、当時はゴミ屋敷と言われるような状態になっていました。まず家の片付けをしないと私自身がそこに入る余地はなかったのです。
仕方がありません。病気がちで寝ていることが多かった母と、その母を1人で世話をしてくれたのが父ですから。きっと家を片付けることもできなかったのだろうと推測できます。
けれども、私自身は働かないと食べられないので、在宅の仕事を請負う態勢を整え、仕事が決まるのを待っていました。
今まで勤めていた会社から、それまで会社でやらせていただいていた仕事が自宅でできるという在宅ワーカーという形にしてくれました。正直幸運でした。
ただ、時間のやりくりは大変でした。
父の要介護度は1でした。元気だったし、足腰も動くし(?)。
けれどもまるっきり、1人にしておいてはいけない状態になっていました。
一番心配だったのが火の元でしたが、父は何もしないでボーッとしていることが多かったので、その状態を心配しながら、それでもその当時はその方法が一番よかったのではないかと、今も考えています。
昼間の1時間半のみ、訪問介護、ヘルパーさんが来てくれることに
要介護の認定を受けることになりました。
母はすでに平成10年には他界しており、父は1人暮らしをしていました。
私が時間になったら仕事を中断して実家へ行って、夕飯の仕度をし、お風呂をたて、家事をしたりしていたのです。
ある日、夕飯の仕度をしている時、お風呂からなかなか上がってこない父を心配して、風呂場に様子を見に行きました。
風呂場を覗いてみるとなんと、父は湯船のお湯を全部抜いて、湯船の中に坐り込んで、ボーッとしていました。本当に驚きました。
「どうしたの?」と訊くと、
「うん、どうやってここから出たらいいのかわからないんだ・・」
今朝は普通に変わったところもなく、洗顔を済ませ、朝ごはんを食べ、機嫌もよかった・・。
当時、私は朝と夜に実家へ行って、朝ご飯と夕飯を食べさせ、その場で洗濯をして、簡単にトイレ掃除や部屋の掃除をして、時間になったらアパートに戻り、いただいている仕事をするという生活でした。
「うん、そのまま立ち上がってここをまたげばいいんじゃないの? お父さん、ゆうべはちゃんと出てこれてたよ」半分は緊張して、半分は無理に笑顔を作って、私は湯船をまたぐ格好をしてみせたのですが、父は立ち上がろうともせず、足を投げだしたまま、いみじくもいいました。
「あんたは年を取ったことがないからわからないんだよ!」と。
また、年のせいにして……。
けれども、父なりに立ちあがろうとしていたことは分かりました。
その揚句、お湯を抜いてしまったんだと。
そうは言っても裸です、このままでは風邪を引いてしまう! 取って返してバスタオルを持ってきて、父の身体をくるみ、座りこんだままでいるので、座蒲団も持ってきました。そしてお湯を出そうとすると、「そんな事をしたら余計出られない!」と怒鳴られました。汗)
すったもんだしたあげく思案の末、契約をしていない団体でしたが、24時間開いているという市の介護団体に助けを求めました。
ちょうど電話に出てくれた方が訪問看護師の方で、状況を説明すると「10分で行きます」とおっしゃって、本当に10分で来てくださいました。
その方はサッと靴下を脱いで湯船に入り、父の背後に回って父の脇の下に両腕を入れて、「1、2、3」とかけ声をかけ、父を立ち上らせ、無事に湯船から脱出(?)させてくれました。
3時間半の攻防でした 汗)。
その方のおかげで翌日から、契約している介護支援の会社で、父を入浴させるメニューを作ってくれました。その訪問看護師さんがこちらの契約している会社にメニューの改善を求めてくれたのです。
ただ、要支援1でしたから、週に1度のサービスでした。
その日以外は毎日シャワーを使い、つきっきりで体を洗う、ということになりました。
入浴できる曜日は火曜日でしたが、父は楽しみにしているようでした。
お湯につかるって、やはり気持ちがリラックスするのですね。大事なことなんだなぁとつくづく思いました。
これからは年を重ねるだけの自分の場合は?
忘れていたこんな事件を思い出してしまい、自分ももっと年をとったら、湯船から出てこられなくなるのだろうかと、暗澹たる気持ちになりました。
歩こう、歩こう、歩こう。歩いて筋肉を鍛えなければ駄目なんだと自分に言い聞かせています。
そして太陽の光を浴びること。ビタミンDを取り込むこと。日光浴は本当に体にいいんだと実感している今日この頃です。
4人に1人が高齢者になるように、いつか、自分もその対象の1人になるんだと自覚しているつもりなんですが・・。
お年寄りにありがちな「まだまだ元気!」と思っていても、はたから見ればちょっと危険、ということにも気付かずにいるのだろうか。
親の時にはいろいろ調べて、市役所に相談に行ったりしました。
数ある介護の会社にも顔を出して、要支援1の対応の仕方やそれに応じての時間割りなど、親切に教えていただき、会社のスタッフさんたちの様子を見て、ある会社と契約し月曜日から金曜日まで昼間の1時間半の支援を受けることができるようになりました。
それは父の話し相手と父のための家事と食事の世話でした。契約内容はそれだけです。それでも来ていただけることは当時とてもありがたかったのです。
さて、自分の時は?
自分のためにあの頃のように動けるのかははなはだ疑問です。
人によっては、「今頃? 遅いよ」と言われそうですが、多分、高齢者は潜在的な不安を抱えつつも、自分のことをどこかで「まだ大丈夫だ」と思っているものなんですね。
長く生きるということはその分、時間をかけて体が壊れていくということなんですけどね。
日々の暮らしの中で、高齢者のニュースなどのテレビ番組に見入っている自分に気付くことも多くなりました。
予想もしていない病気が突然やってきて倒れてしまったら・・?
そんなことを考えてついつい、身内に今後のことを相談し、思いがけずこの家から離れるという結論が出て、慌ただしく売却、引っ越しとなりました。
そして跡取りのいない我が家のお墓も、墓終いを考えなくてはいけないんですね。
何だか、終いのことを考えるのは寂しいことだけど、突然死なら仕方のないことだけど、1つ1つ着実に考えて解決していかなければならないのでしょうね。
ああ、それが本当の意味での終活なんだなと今、はたと気付きました。
まとめ
引っ越しが済んで、隙間時間を見ながら細かい片付けや書類の整理をして、処分できるものは処分しています。少しずつでも時間が空いたら片付けています。遺った家族に迷惑をかけたくない、そういう思いは高齢者の皆さんが思っていることなんです。
引っ越し前も大分ゴミとしていろいろ処分してきたつもりでした。けれども荷物ってあとからあとから出てくるものなんですね。
本当に人が1人生きるって大変な労力と時間がかかっていることを実感しているのです。